心や感情に悩む母親たちの自助グループをやりたいと思った話

私は精神疾患を抱えながら日々を暮らしている。昨年の夏に子どもが生まれ、おおむね楽しく生活はしているものの、育児や家事の忙しさからストレスも溜まるし、軽快していた病状も産後また不安定になった。「初めての育児はみんな大変だし、みんなめちゃくちゃになりながらやっているから」「平日にワンオペで家事まで手が回らないのは当然だよ」「産後はホルモンバランスも崩れるし、体調がちゃんと戻るにも時間がかかるし、誰だって不安定になったり、産後うつっぽくなる時はあるよ」……そうやって優しく声を掛けてくれる人は沢山いる。Twitterなんかやっていても、乳児を抱えて大変な状況にある母親を力づける言葉は、沢山読むことができる。

だけど、正直なところ、どこか自分にはしっくりこない気がすることも多い。元々低い自己肯定感や自責的な傾向があるからこそ心の病気になっているし、病気だということで更に、自分は弱くてダメなんだろうなという認識を深めてしまっている。「めちゃくちゃになりながらでもやってる人は偉い。私はどうしても体が動かなくて他人の手を借りないとどうしようもない時もあった」「ワンオペって言えるほどワンオペでやれていない」「元々健康だった人と違って自分は病気で変だから、普通の落ち込みや産後うつとも違って、もっとダメで病的」などと考えてしまうのだ。

育児あるあるも、ワンオペ育児の愚痴も、遠い。自分はそういう話で盛り上がる資格はない人間だと思ってしまう。元々理解してもらいにくい病気のまま母親になったから、一般的に理解しやすい心情の延長線上にある不調として、自分の心や感情を語れない。

ひどく孤独だ……そう思いながら数か月の育児生活を乗り切る中で、いつしか「同じように心の病気や感情の難しさに悩んでいる母親たちの、自助グループをやりたいなぁ」と思うようになった。私は昔、依存症専門の病院に入院したことがあり、そこでは一般的な依存症(アルコール依存や薬物依存)の自助グループの他にも、摂食障害や感情の問題を抱える人向けのグループなどがあった。同じ立場の人同士で、安心して自分の話をし、誰かの話を聞くことは、私がひどい病状から回復するきっかけをつかむ大きな出来事だった。ああいう場がまた、自分には必要だし、同じように必要としている人もいるかもしれない。

そして、この思いを現実にしたいと考える大きなきっかけが、ここ1か月程立て続けにあった。

まず、保育園に落ちた。私は現在、仕事についていない専業主婦だけれど、保育園は働いている母親以外にも、病気や障害を理由として入所することも可能だ。精神疾患があると、産後に何度か保健師さんが自宅を訪問してくれるのだが、その時にも保育園を利用しながらやっていくことをすすめられた。自分の知識としても、保育園は児童福祉だという認識があったので、どこかしらには入れるのではないかという期待をこめて、申し込みをした。けれど、落ちてしまった。(ちなみに体調不良でぼけっとしていたこともあり、一次選考の申し込みには間に合わず、二次にしか出せていない。こういうやらかしがあったり、自分で申請することが難しいのが病気や障害なんだと思うけれど、あまりフォローが無いのが実態)

落ちてしまったことがショックで、必死で役所に問い合わせをしたり、自分で調べたりした。そして分かったのが、現在住んでいるさいたま市は、障害が理由でも精神障害者手帳3級だと育休中の人よりも点数が低くなってしまうこと、病気で6か月以上通院している状態の人でも同じく点数が低くなってしまうこと。育休中でも第一子でその他の加点がない場合は落ちてしまうこともあるのに(だからみんな必死で保活をする)、病気や障害の人が自身の状況を理由に保育園に子どもを預けるのは、かなり厳しそうだ。児童福祉の制度でやっている福祉施設なのに、虐待防止が盛んに言われているのに、大都市圏の保活が厳しい自治体ではこんなもんなんだと、愕然とした。

調べていく中で、自治体によっては精神疾患のある状態を重く見て、点数をフルタイム育休並みにしたり、加点をしているところもあると分かった。ただ、東京通勤圏で子育て世代の人口流入が増加している自治体は、辛い点数のところが多い。働く母親のニーズだって大事だし、その人たちもみんな困っている。だから状況の異なる母親同士で憎み合うようなことは絶対にしたくない。けれど、「精神3級や通院を続けているレベルの人は、自分で頑張るか親を頼るか自費でどこかに預けるかしてください」と言われているようで、ショックだし悲しい。精神障害者手帳を取るのだって、通院を続けているから手助けが欲しいと言うのだって、相当な覚悟が要ることなのに。

0歳で点数が足りなくて入れなければ、1歳はもっと絶望的だ。ショックと疲れでたまらなくなって、体調も悪くて、でも代わりに子どもを見てくれる支援なんかほとんど無くて(無くはないけど使い勝手もよくないし、お金もばかにならない)。追い込まれた私は一度だけ、児童相談所に電話をした。対応した職員の人は、泣きながら話す私の言葉をゆっくり丁寧に聞いてくれたけれど、児相は保育園の問題をどうすることもできない。分かってはいたけれど、今まで何度も保健師さんから説明を受けた市の支援サービスについて案内されるうちに、心が冷めていき、涙も止まった。そして、「本当につらいとなったら施設や里親さんに一度預けて頂くということになります」と案内され、ああ、私もそうやって案内されちゃう立場なんだ、調子が安定してる時は対人援助の支援者やってるのになぁと、なんだか笑えてきてしまった。そこから先は、職員の人の受け答えのテクニカルな部分について考えながら、あまり話に集中していなかった。だって、私が頑張るか、家族・親類を頼るか、自費でどこかに預けるか、施設しかないのだ。

「追い込まれる人たちは、家族・親類も頼れないし、お金も無いから困ってるのにね、危うい"私"を頼るしか無くて、日々が綱渡り、だから渡れなくなる人もいて、次に出会う時はもっと悪い状態で出会うんでしょ」そんなことを考えながら、電話を切ったように思う。そして今週、担当の保健師さんから電話があり何の話だろうと思ったら、今年は相当に保育園の状況が厳しかったらしく、私と同じように入れなかった人たちに、保健師さん達が総出で状況を聞く電話をかけているらしい。

長々と書いてしまったけれど、要約すると「孤独だし助けてほしい」ということになる。そして、公的な助けが望めないなら、せめて孤独だけは癒しながら、毎日の疲れと傷に手当てできるように、自助の場を持てたらいい。誰かが用意してくれるものではないなら、ほんの少しでもアイデアや余裕のある人たちで、なんとかやっていく道を探したいんですよ、私は。

娘はスヤスヤお昼寝している。ずっとじゃなくていいから、笑顔で、少しの余裕を持ちながら、子どもと向き合っていきたいのに。