変わりそうであまり変わらない、でも少し変わっていく自分

辛そうで辛くない少し辛いラー油みたいなタイトルになってしまった。

 

昨年末に、妊娠していることがわかった。積極的に望んでバッチリ計画的に妊娠したわけではない。精神科で処方されるような薬はもう飲んでいなかったし、調子も昔に比べたらかなり安定していたけれど、「そろそろ子どもが欲しい」と考えたわけではなかった。そうなったらそうなったで、それも有りかくらいに思っていたら、妊娠がわかった。仕事のことでえらく落ち込んだりした後だったので、ちょっと嬉しい思いもあった。自分としては、「嬉しい」ということが意外なような、当然なような、不思議な気持ちだった。

 

子ども時代にしんどい思いをしていたり、精神疾患があるとかメンタルの部分に不調や不安があるとか、そういう人の中には、子どもを持つことについて慎重な考えの人が少なくないと思う。私もまさにそれで、子どもを産み育てることへの憧れとか希望みたいなものが、ものすごく希薄な状態で生きてきた。まず想像がつかなかったし、「虐待しちゃったらどうしよう…そこまでいかなくても自分のせいで子の気持ちを傷付けたらどうしよう」「私なんか精神の方も体の方も調子悪いのに、その性質を引き継がせちゃったらどうしよう」「何も問題なく健康に産まれてくると限らないんだから、病気や障害があったとして育児やケアの負担に耐えられるだろうか」「特に問題なく健康だったとしても、人より色々弱いんだから産後うつとか大丈夫だろうか」等々、考え始めるとキリが無い。自分が大変な思いをすることよりも、それにより子どもにマイナスの影響を与えるというのが、本当に嫌だったのだ。

 

考えるほどに嫌になってくるし自己嫌悪スパイラルに突入してしまうので、あえて考えないようにして生活してきたというのが正しいだろう。考えていなかったのだから、憧れや希望以前の話だったのだ。

 

ところが、産婦人科を受診して妊娠がわかり、あの白黒のエコー画面を見つめると、不思議なことに嬉しかった。これまでに想像しまくってきた嫌なイメージが、咄嗟には湧いてこない。ああ、嬉しいものなんだと気付くと、そう素直に反応できた自分についても嬉しいという、めんどくさい嬉しさなのが、少しおかしかった。

 

受診した産婦人科クリニックは不妊治療も手掛けるところで、みんなが受付で母子手帳を取り出すような場所ではなかった。だから、もらったエコー写真は診察室を出る前にバッグにしまい、これと言って特徴の無い表情をしながら待合室に戻り、静かに会計を終えて、外に出た。たまたま夫の仕事が休みの日だったので、車で迎えに来てもらうために連絡をし、冬の冷たい空気を吸い込みながら、考え事をした。病院なので何人も人が行き来する。私より若い女性も年上の女性もいるし、それぞれの理由でここに来ているのだろう。少し離れたところでタバコを吸いながら遠くを見ている男性は、さっきまでクリニックにいた人だ。不妊治療をしているところだから、男性も来るよなぁ。きっとみんな、色々ある。そんなことを考えながら、夫の車を待つ。そして、あれこれ考え事をする自分が、妊娠がわかる前の自分と同じ自分なのだと気付いた。

 

これからの自分には、妊婦とかプレママとか、呼称はともかく今までにはなかったラベルやカテゴリーが付いてまわるようになる。産後ならママとか母親になり、その期間は長い。新しいラベルの持つ重さを考えると、どうも構えてしまいがちだけれど、自分の根本的な部分は特に変わらないのかもしれないなと気付くと、あまり仰々しい捉え方をする必要は無いのだろうと思った。もちろん、様々な経験がもたらす変化はあるだろうけれど、何か見知らぬ別の自分に成り代わるわけではなく、頼りなく惑う自分も案外図太い自分も、そのまま持ちながら少し変わっていくのだろう。到着した車に乗り込み、そんなことを考えながら待っていたよと夫に告げると、「そっかそっか」と夫も穏やかに話を聞いていた。

 

あれから5か月が過ぎ、体調の面でそれなりに苦労しながらも、変わりそうであまり変わらない、微妙な感じの自分を経験し続けている。

 

母親という存在であることに纏わりつく重さは、外側からやってくるものと内側からやってくるものがある。外側からやってくる社会的な要請やその重圧については、分析して批判的に考えることが出来るし、変えられないとしても気持ちの面での対処はしやすい。厄介なのは内側からやってくるものだ。自分自身がとらわれている様々なべき論や複雑な感情というのは、私のこれまでの個人的な体験に紐付けされているので、他者と共有しづらい。きっと、これからも苦労しながら向き合ったり、時にやり過ごしたりしていくことになるのだろう。

 

身体も精神もどっちも不調だと思っていたら、妊娠出産についてもその後の育児についても、しっかりハイリスクな方に区分されてしまった。でも、そのおかげで医療をはじめとしたサポートには、今のところ恵まれている。「はーー勉強になるなー」と思いながらも自分でも苦労するという点で、やっぱり私は変わらない。自分と子どもと夫の生活を良いものにしていくために変わっていくのは歓迎なので、その変化を楽しみたいと、今はそう考えている。