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どこにも行けないということ

しばらく書かなかったブログをぼちぼち再開しようと思う。

 

夫がインフルエンザにかかってしまった。2月にも夫婦でA型のインフルエンザにかかっているので、今シーズン2度目だ。私ももらってしまうかなと思っていたのだけれど、3日以上無事なのでどうやら大丈夫なようだ。夫はなかなか熱が下がらない。

 

もし感染していたらマズいというのもあるが、置いてきぼりは可哀想なので、私もずっと自宅にいる。仕事は在宅でやっているし買い物はネットスーパーがあるしで、外出しないでも生活は成り立つ。ただ、よく晴れた暖かな陽気の日もずっと家にいるというのは、なんとなく寂しく、つまらない。今日も鉢植えに水をやるために庭に出た以外は、ずっと家の中だ。外は春らしく、少し街の方まで下りれば桜も満開のはずだ。でも、行かない、行けない。

 

このどこにも行けない時の気持ちは、経験がある。精神科病院に入院していた時の気持ちに似ているのだ。入院の経験は何度かあるので、その時々によって開放病棟だったり、閉鎖病棟だったり、保護室だったり、過ごした環境も状況も違う。そもそも今だってその気になればどこに行ってもよいのだから、医療保護入院という自分だけでどうするか決められない状況で保護室にいた時とは、まるっきり話が違う。

 

似ているのは、外の世界の時間の流れが自分とは隔絶したもののように感じるという、疎外感だ。実際どこに行けるとか行けないとかではなく、季節の移り変わりや世の中の流れの中に、自分はいないという感覚。満開の桜も、誰かとのお花見も、そこで好きなものを食べることも、賑やかな雰囲気の中で自分たちの会話をすることも、自分とは関係ない出来事のような。たぶん、そんな感じのことが似ている。

 

あと2,3日もすれば、夫も回復し、私もインフルから逃げ切ったということで、日常に戻っていくのだろう。ちょっとばかり不自由で寂しい生活は、すぐ終わる。

 

どこにも行けないという気持ちは、今の私には非日常のものとなってしまった。でもそれが日常だったことが、確かにある。保護室閉鎖病棟のような少し珍しい環境に居た時に限らず、そういう気持ちが持続していた時期があった。精神の病気でなくたって、同じような気持ちになる状況というのもあるだろう。どこにも行けないということは、珍しいことではないのかもしれないのだ。ただ世の中は、誰もがどこにでも行けるという前提があるかのように動いている。

 

この感覚はなんとなく忘れないでおいたほうがいいなと思ったので、ここにメモ。