私と不登校とフリースクールと考え方の変化について・メモ

昨夜から書き始めた自分の思い出話だが、不登校YouTuberをめぐる議論とより関連するのは、私がフリースクールに通い始めてからのエピソードである。しかし、これを書くのは中々大変で、今までも何度となく振り返って文字にしたいと思ってきたのに、上手くまとまらずに書けないままでいた。まとまった文章が頭の中に浮かぶのを待っていると永遠に書き上がらない気がするので、以下に書きたい内容を箇条書きにする。なるべくそのまま小見出しに使いたいが、予定は未定。

 

・自由な高校の不自由な部活

・そして行けなくなった

・行かないことを決意する

・家に居たくないからフリースクール

・もっと休んだほうがいいとか余計なこと言うなよ

不登校の経験を語る役割について

・上手く語れない私、病んでいることが許せない私

・付き合うのが難しい子たち

・ケア役割を担う友人たちとの愚痴

・病理か、現象か、状態か

・海外のフリースクールについて知る中で

・ペルーの働く子どもたちとの交流と、子どもの権利

不登校を仕事にした子、しなかった子、できなかった子

・子どもでいられなくなる怖さと向き合うために手にするもの

・大学に行くべきだと強弁していた彼氏(現夫)

・中卒フリーターから責任者として働くまで

・支援の世界、福祉の世界、揺らぐ価値観

精神疾患を受け入れはじめる

・地方の不登校を知る

・障害、貧困、虐待、外国ルーツの親子…見えていなかった不登校

・役立つことはなんでも吸収したかった、でも何に役立つ?

・肩書きのないことの壁と、悔しいから資格と大学という話

・社会で立派に活躍するOBOGと立派じゃない私

・箸休めお役立ち情報。中卒で大学に行く技、苦手科目だけ慎重に高認を取る技

・社会で立派に活躍するOBOGが表では語らないこと

・大丈夫な自分でいたかった私たち

・元気と明るいと働いて自立する以外の「大丈夫」を知らなかったから

ソーシャルワーカーなんか知らない、だから

・専門職のバイアス

・ろくな研究がない(多分)

・支援か、新しい教育か、居場所か

・考え方も語りも生き方も、変化していく

・それでもロールモデルに救われた

デンマークの自由な学校の存在が支えだった頃

・たくさんの地味なベストプラクティスと希望

・新たな例外を生きる

・子どものWell-beingと不登校

 

…書き出してみたら多すぎるな。いったい全部で何字になるのだろう。自伝でも出すのかよという雰囲気なので、なるべく簡潔に淡々と書くように努力したい。

私と不登校とフリースクールと考え方の変化について・1

自分の不登校の話をするのは難しい。なぜ行きたくなかったのか、なぜ行けなかったのか、いまだによくわからないからだ。けれど、不登校YouTuberの10歳の少年についてネットが大盛り上がりしている様子を見て、これは自分の感情を供養するためにも一度書いてみたほうがいいなと思った。そう、私は不登校YouTuberの話題に触れて心が揺らいだ。とてもとても揺らいだ。だからこれから書くことは、社会に何か訴えたいとか知ってほしいとか、そんな大層なものでなく、ただただ私の感情の話だ。不登校を経験し、フリースクールに通い、たまに人前で不登校経験とフリースクールでの生活について話したり、フリースクールに通う子どもの権利獲得のためにロビー活動をしたり、イベントを主催したりして、不登校フリースクールに深く関わってきた子どもの頃の私。そして子ども支援の支援者として不登校に関わってきた私。不登校と縁のない時間のほうが短かった私が、心臓がぎゅっとなるような思いをしながら、以下、頑張って書きます。

 「学校に行きたくない」というより「休みたい」だった

文科省による不登校の定義では、病気や経済的理由以外で年間30日以上の欠席をした者が不登校児童・生徒ということになる。その定義に従うならば、おそらく私は「不登校」の状態になったのは中学生以降だ。けれど、気分的には長く不登校だったように思う。小1の頃から登校しぶりがあり、自分でも覚えていないのだが、玄関先でランドセルを背負った途端に吐くこともあったらしい。小2に進級するタイミングで引っ越しに伴う転校を経験したが、それ以前もそれ以降も、たまに体調不良を訴えて学校を休むという生活には変化がなかった。「行きたくない」とはっきり自覚的に思っていたわけではなく、身体が重くて動かないとか、気乗りしなくて着替えや準備が進まないとか、そんな感じだったと思う。そして登校時間が迫り、行きなさいと言う母親と休みたいと言う私の間で攻防戦が続くうちに、行きたくないという言葉も口にしたことがあるかもしれない。けれど学校がある日の朝、頭にふっと浮かぶのは「今日休みたい」という言葉だった。だから私にとっては、子どもに関わる支援者が不登校に言及した際に話題にするような「行きたくないと行けないの違い」という見方もピンとこない。ただただ休みたい、そう思って、なんとかその日休めるように抵抗する。学校を休む日の私はそんな感じだった。

この休みたい日のやり取りと、休んだことによる心理的な負担があまりにも重くて、気分的不登校の状態は小1すぐから高1で中退するまでずっと続いた。けれど実際の欠席日数は年間30日に満たない年が多かったはずで(今度、実家で昔の通知表を確認しようと思う)、不登校ではない時間のほうが長かったのだ。年間20日前後休むだけでも、こんなにも負い目を感じるものなのかと思うが、やはり周囲のみんなが普通にやっていることができないというのは、大きな重荷だった。多少成績が良くても、絵や楽器が得意でも、自分は同年代の子どもの中では二流の存在だという気持ちが常にあった。病気や怪我以外で学校を休むことがある限り、何が出来ても劣った存在だし、認めてもらえない。そんな風に感じながら生きていたと思う。

 

 不登校になれなかったし、不登校にならなかった

小1から高1まで気分的不登校の状態だった私だが、欠席日数は毎年、20日~30日前後だった。逆に言うと、年間30日を大きく超えるほど休むことは高1まで一度も無かった。そして、連続して3日以上休むこともほぼ無かった。相談室登校や保健室登校をしたことも無い。不登校と言って一般的にイメージされるのは、連続した長期の欠席をしているとか、教室にほとんど顔を見せないレアキャラとか、そんな感じだと思うが、私は今でも同窓会のお誘いLINEが来る程度には学校に存在があった。そうなった理由はいくつかあるのだが、まずは連続して休むことを認めない両親の存在が大きかったように思う。

私の不登校はこんな感じだった。まず欠席1日目の朝は、仕事をしていてあまり時間の無い母が仕方なく休ませる。2日目の朝は、行きなさいと叱られたり一悶着あった末、根負けした母が休ませる。そして2日目の夜にはこれではまずいと父も登場し、両親の前に座らされた私が説得され、説教され、時にはなだめすかされ、今度は私が根負けして「明日は行く」と言う。そうして欠席3日目の朝は来ない。私の不登校は、いつも2日で終わった。

度々ある再登校1日目は、嫌々ながらも支度をして学校に出掛けて行き、とりあえず一日を終える。行ってみるとそこそこ楽しいこともあるので、翌日もまたとりあえず行く。時には少し強引に母に連れられて遅刻で学校に行くこともあったし、保健室で1時間寝ていることもあったし、早退することもあった。でも大きな問題にされるほど繰り返すことはなく、小5くらいからは問題にされないように自分自身で加減してもいた。そうしてほとんどの日は学校に通っていたので、学校に行くのが楽しみな時もあったし、実際に楽しく過ごすこともあった。友人もいたし、小4からは週4日も課外活動の器楽部をやっていたし、いじめられることもなかった。体育と算数・数学は嫌いだったけれど、他の科目は好きだった。学校に行っている時の私は、それなりに普通の子どもとして過ごしていたと思う。運動会をやる意味や校則について疑問に感じたり、みんな仲良くみんなで同じが良しとされる風潮にバカバカしさを感じることもあった。けれど、そういう疑問を家の中や友人との会話で口にすることも可能だったし、苦しいと思うほど常に本気で嫌だったわけでもない。だから私は、やや厳しい両親のもとで不登校になれなかった部分もあるのだが、積極的ではないにしろ、ある程度は自らの意思で不登校にならなかったとも言える。今でもどう説明したらいいのかよくわからない。ただ一つ言えるのは、不登校を選んだとか、学校に行く選択とか、そういった表現は馴染まない状態だったと思う。選択も決断もしようがなかった。休みたいか、行けるか、せいぜいその程度を考えるしか余地はなかった。

 学校以外のつらいこと

大人になった私は現在、PTSD解離性同一性障害の治療中だ。20代半ばから本格的な治療を開始し、生活を大きく制限されるような症状はほぼ落ち着いたものの、今も調子が悪くなれば病院に行き薬を飲む。精神科に通院するようになったのは成人してからだが、思えば物心ついた時から、今と同じような症状が当たり前にある状態で過ごしていた。精神疾患を発症した理由やきっかけは、自分でも「思い当たる節がある」程度ではっきりこれと言えるわけではないのだが、小さい頃から何度かつらい出来事に遭遇することがあった。その中には、性暴力被害も含まれる。つらい出来事のトラウマと精神疾患、これが不登校に関係していた部分も大いにあると、今は思う。ただ、自分の不登校と病気を自然に結び付けられるようになるまでには、紆余曲折があった。

他にも、家庭内に少しだけ緊張感があったことも挙げられる。あまり広くない家に祖父母と二世帯同居していたので、細々とした問題や葛藤というのは、家族内に常にあるものだった。自分だけの部屋というのも無く、妹と共同で部屋を使っていたこともあり、ひきこもることも不可能だった。そして何より、ひきこもって自宅にずっといる状況は居心地が悪そうで、想像もできなかった。後にフリースクールに通うようになった時には、ひきこもり経験がある子や、不登校をしてから1年以上自宅で過ごしていたという子のほうが多いことにびっくりした記憶がある。私は自宅で過ごすのは1か月が限界だった。この家庭での居心地の悪さというものは、良くも悪くもそれなりの影響があったのだが、それを振り返られるようになったのは、30歳近くになってからだった。

 中学校生活と部活のこと

たまに学校を休む生活を続けながらも、私には好きなことも、目標も、行きたい高校もあった。小4からはじめた吹奏楽は特に生活に欠かせないものになっていて、コンクールで入賞して関東大会に進めるような小学校で演奏していたこともあり、より高いレベルでやってみたいという気持ちを自然に抱くようになった。中学の吹奏楽部は小学校ほどレベルが高くなく、そこで落胆した経験が「休みたい」になることもあるほどだった。けれど顧問が中2の担任教師でもあった音楽の先生に代わってからは、だんだんと意欲に火が点くようになる。欠席が目立つ私に役割と居場所を与える目的もあったのか、担任教師は何かと私を気にかけ、合唱のピアノ伴奏に選んだり、空き時間に音楽室を練習のために使わせてくれたり、音楽室にあるCDを貸してくれたりした。2日連続で休んだ時は自宅まで訪問に来て、通っていた音高と音大の話をしてくれた。不登校経験者が担任に自宅訪問された話をする時は、嫌だったとか苦痛だったとか、否定的なニュアンスで語られることが多い。けれど私は訪問の時間が楽しみでもあった。学校や進路の話だけでなく、まだ20代の若い女性教師が「あー私もノンノ読んでたよー」とその辺の雑誌をめくりながら話してくれるのは、長女の私にとっては姉が出来たような嬉しさもあった。

部活ではつらいことや嫌なこともあった。それは練習ではなく主に人間関係で、具体的には部内のいじめだった。私自身はいじめのターゲットになったことは無く、同学年のほぼ全員が順番に短期間のターゲットになっていた頃に、1日か2日無視された経験しかない(そしてここぞとばかりに無視されたと母親に泣いて訴えて学校を休んだ)。継続的に無視され陰口を言われる子は、別にいた。私はそれがとても苦痛だった。小学校の課外活動では顧問の方針で、上下関係や敬語が禁止という、中高の一般的な部活とは逆のルールがあった。そのため全員が学年に関係なくタメ口で、誰と仲良くするか、お弁当や休憩の時に誰と過ごすかも自由だった。風通しが良く強制やルールの少ない環境のおかげか、いじめは存在しなかった。そこでのびのび音楽に打ち込んでいた身からすると、中学の吹奏楽部は音楽以外に考えなければいけないことが多すぎた。中学で欠席日数が増えた理由は、荒れ気味の中学だったとか、同じ小学校から進学する子が5人しかいなかったとか、いろいろある。けれど、好きだった吹奏楽の場を苦痛に感じる場面が増えたのは要因として大きかった。

それでも部活を辞めず、学校にもなんとか通っているうちに風向きが変わった。いじめが落ち着き、そのうちに3年生が引退の時期になり、私といじめられていた子は副部長に任命された。私は部内のいじめが落ち着いていく直前、同学年の子たちが派閥に分かれて陰口を言い合っているところ、「私そういうの関わりたくないから」と思い切って宣言して、いじめられていた子と仲良くするようになっていた。だから、彼女と一緒に副部長だと言われた時には本当にびっくりしたし、同時に少し救われた思いがした(私も他の子と一緒になって無視していた期間が長いのに勝手ではあるが)。引退する3年生が後にこっそり教えてくれたところによると、部内が人間関係で荒れないように、いじめを主導したりしないメンバーになるよう相談して部長選挙に投票したそうだ。そして先輩たちの狙い通り、以降は目立ったいじめは起こらなくなった。この時の経験は、私にとって人を信頼するための支えの一つになっている。人は案外、いろいろなことを考えながら現状を生きているし、変化のための機会について考え、行動を起こしたりする。「自分以外の人間は全員バカ」とでも言うような自分本位に陥りがちな中学生時代に、それぞれ事情がありながらも考えながら生活しているということを感じられたのは幸運だったと思う。

役割を得て3年生になると、私の学校への思いも少しずつ変化していった。夏頃に志望する吹奏楽の強豪校への進学をあらためて決意してからは、家庭教師をつけてもらい(塾は中1で通えなくなってやめてしまった)勉強もそこそこ頑張るようになった。今思えば、煩わしいことが減って勉強に集中できるようになったのだと思う。そして秋からは1日も休まずに学校に通うようになった。合唱の伴奏で難しい曲を弾く時には、クラスのそれまで交流が無かった子たちがすごく応援してくれた。1年生の頃から変わらず仲良くしてくれていた地味でちょっとはみ出し気味の友人たちとは、ピアノ伴奏の出来で切磋琢磨し、オタトークに花を咲かせ、気付けば毎日を楽しく過ごしていた。あれほど嫌いだったヤンキー中学もそんなに悪くないなと思った頃、私は中学を卒業した。志望校には無事合格していた。欠席日数がちょっと多めだからと担任や顧問が奔走してくれて、「校長先生に高校から頑張りたいという決意を直接伝えられたら、内申書には欠席日数を少し減らして書いてもらえる」という扱いを受けられることになったためだ。そこそこ図々しい私は、立派なことを言って見事に欠席日数を減らしてもらい、入試に合格した。

中学生活はしんどいことも多かったけれど、私は幸運だったし、その幸運を活かせるだけのしたたかさも多少あった。でも何よりも、必死だったのだと思う。高校は吹奏楽部のレベルが高いだけでなく、授業選択の自由度がかなり高く、面白そうな授業もあり、自分のようなタイプには向いている学校だと思った。そして何より、裕福ではない自分の家にはありがたい公立高校だった。目標を持って楽しく通える、頑張れる、頑張り甲斐のある学校を、自分なりに選んで決めた。そのつもりだった。

***

想像通り長くなってしまったので、続きはまた今度書く。こうやって書いてみると、学校の思い出も山ほどあるんだな、やはり。不登校と学校以外の選択肢と自己決定というテーマでは、続きのほうが本番です。気が重い。書くのが。

精神疾患を抱えた親が子どもを保育園に預けたい時の「点数」を調べてまとめたい

久しぶりの更新。

大都市圏の保育園への入所が大変な区市町村において、福祉的ニーズの高い精神障害精神疾患を抱えた親が、入所選考の基準となる「点数」ではどういう扱いになっているかについて、調べてまとめてブログにしたいとずーっと思っています。きっかけは、自分自身がさいたま市に住んでいる時に当事者として大変だったから。私は一次に申し込めず(精神が不調な人あるある、手続きを自分で全てこなすのが大変)、二次では不承諾、つまり「保育園落ちた」になりました。結局、年度途中の5月入所で小規模園に入れたのですが、苦労する中で試しに他の市町村の状況を調べてみたら、ずいぶんと扱いに差があることに気付いたのです。その時の顛末は、以下の記事にも書いています。

心や感情に悩む母親たちの自助グループをやりたいと思った話 - まいにちの忘れもの箱

最近は、子どもへの虐待の背景に親のメンタル不調があることが少しずつ知られてきています。少なくとも、子どもや子育て支援に関わる専門職の間では。ですが、↑の記事で私がさんざん愚痴っているように、そのような親子への支援は十分とは言えない現状があります。そんな中でも最大の支援が保育園なのですが、必要とする家庭がみんな利用できているわけではありません。

いわゆる「点数」については、自治体ごとに本当に差があります。一般的に大都市圏では、両親ともフルタイムの場合の点数が保育園に入るための最低点になります。さらに祖父母が別居か、育休明け加点があるかで点数が変わる自治体もあるのですが、まずは両親フルタイムの点数に並ばないと、精神疾患のある親は簡単には保育園に預けられないことになります。この最低点よりどれくらい上になるのか、並ぶのか、下になるのか、自治体ごとの違いをまとめて比較できるようにしたいのです。

また点数とは直接の関連はありませんが、保育の時間も自治体ごとに扱いが異なります。保育園って、一般的なイメージの通り、通勤する親が送り迎えできる朝から夕方までの時間(保育標準時間。園ごとに異なりますが、一般的には7時半~18時半)の他にも、8時半〜16時半(保育短時間)という利用時間があるのです。この利用時間が2タイプに分かれる制度というのは比較的新しいもので、昔は利用時間の区分はありませんでした。ですが、現在ではパートで勤務時間が短い場合や、育休中や求職中、疾病や障害が理由で預ける家庭については、短時間が適用される自治体も多いです。疾病・障害の理由で短時間になるのかどうかにも、自治体ごとに違いがあります。

保育園というのは両親ともフルで働いている家の子が預けられる所…というイメージかありますが、実際はそれだけではありません。親が入院してしまった、親が病気療養中で働けなくて生活保護を受給している、きょうだいが病気や障害で常にケアが必要だから親が忙しい、虐待の危険が高い家庭で行政や児相が支援を続けている…などなど、様々なケースでの利用が想定されている場所です。そこまで急を要するケースではなくとも、親が病気や障害でしんどい…というのも、保育を必要とする理由になります。ですが、保活激戦区と呼ばれるような自治体では、この「そこまで急を要するケースじゃないけどしんどい事も多い家庭」の保育の利用が、かなり厳しいことになっている場合が多い。その実態に、自治体が公表している入所選考基準の点数表から迫れないか…そう思っているのです。

ガチでやるならそれなりの調査になってくるので、時間も手間もかかります。そのため、まずはいくつか気になる自治体を調べてブログにまとめようと思っています。以下に、気になって調べた自治体と調整指数表(いわゆる点数の載っているもの)のリンク、気になった理由を箇条書きにしていきます。本当は点数だけでも計算したかったのですが、見落としや間違いがあるといけないので、それは今度にします(ただいま深夜3時で眠い)。精神疾患を抱える親と子の支援について研究している友人も興味を持ってくれているので、ほんとのほんとにガチな調査は、友人の助けも借りて挑戦してみる…かも。

  1. 埼玉県さいたま市 理由:昨年まで市民で当事者として大変だった 
  2. 埼玉県川越市 理由:今年から市民で当事者としてありがたかったから
  3. 埼玉県上尾市 理由:近隣だから調べたら「未受診であるが精神疾患が疑われる場合」にも指数が設定されていて興味を持った。他にも「両親ともに障害者の世帯」や「障害者手帳所持で就労している場合」が想定され指数に明記されている点も興味深い
  4. 埼玉県和光市 理由:和光版ネウボラなど先進的な施策に取り組んでいるイメージ。でも調整指数は公表されていない…?あとでまた検索する
  5. 東京都江戸川区 理由:おうち食堂や配食サービスなど困難な家庭へのアウトリーチ型支援を行うなど先進的なイメージだから
  6. 東京都世田谷区 理由:子ども関係の施策を頑張ってるけど保活が大変そうなイメージだから
  7. 東京都葛飾区 理由:なんとなく
  8. 東京都足立区 理由:大変な現実も認識しつつ福祉を頑張ってるイメージがある
  9. 東京都渋谷区 理由:子どもの貧困対策をNPOと連携してやってるからなんとなく気になる
  10. 東京都文京区 理由:子どもの貧困対策をNPOと連携してやってるからなんとなく気になる。そして病気や障害の「重・中・軽」という分類や「身体障害手帳1・2級、愛の手帳1~3度、精神障害者保健福祉手帳1~3級(育児不可能)」という記載に独特の無神経さを感じるのだが?偏見を生むしスティグマ与えてない?不可能じゃないよ?
  11. 東京都板橋区 理由:大規模団地もあるし地域福祉や民間団体が頑張ってるイメージがあるから
  12. 東京都江東区 理由:子育て世帯が増えて保活が大変そうだし所得格差もありそうなイメージ
  13. 東京都八王子市 理由:ベッドタウンで埼玉や千葉とも比較になりそう
  14. 東京都町田市 理由:ベッドタウンで庶民も住んでるけど競争も激しそうだから
  15. 神奈川県横浜市 理由:元祖・保活が大変そうな街だし、子ども関係の施策はよろしくない意味で独特なイメージ
  16. 神奈川県川崎市 理由:子育て世帯が増えて保活が大変そうだけど、子ども関係の施策は先進的なものもあるので
  17. 神奈川県相模原市 理由:ベッドタウンで埼玉や千葉と比較になりそう
  18. 千葉県柏市 理由:ベッドタウンということで
  19. 千葉県野田市 理由:ベッドタウンということで
  20. 千葉県松戸市 理由:ベッドタウンということで

適当に調べていたら20になりました。埼玉県民としては埼玉の他の市も気になるけど、とりあえず20の区と市を頑張ってみようかなと思います。目標、今月中。

「子供の領分」という曲

ドビュッシーの「子供の領分」という曲が好きで、ピアノが弾ける環境にいた時には自分でもよく弾いていた。今はピアノが無いので、手持ちのCDを聴いたり、YouTubeに好みの演奏がないかたまに検索したりして楽しんでいる。

今日はYouTubeを検索してiいたら、ドビュッシー本人が演奏するピアノロールの音源からの動画を見つけた。曲は私が一番好きな「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」。


Debussy "Doctor Gradus ad Parnassum" - A Comparison

ドビュッシー本人の演奏と、ラフマニノフコルトーの演奏が入っている。まあ豪華。ドビュッシーの演奏は技術的に上手いというわけではないのだけれど、ちょっと人を食ったような感じの演奏がまさにドビュッシーという感じ。後半部分とても速いテンポで弾くのだけれど、たしかに楽譜にも「もっと速く」という指示はある。でも、こんなに速かったんだ、という感じ。

この曲、本人が弾くピアノロールが残っていたことを知らなかったので、気になって検索して調べてみた。すると大学の児童学科で音楽を教えている方の研究報告の文章を見つけた。ピアノロールの演奏についてではなく、「子供の領分」という曲についての話だったけれど、これがけっこう興味深かった。というか、私自身がこの曲とドビュッシーに抱いていたイメージと重なるものだった。

聖学院大学総合研究所のNewsletter Vol.21 No.2 村山順吉氏報告「『子供の領分』をめぐって」(児童における<総合人間学>の試み研究)という文章なので、興味のある方はぜひ。

私は昔から“Children's Corner”というタイトルを「子供の領分」と訳した理由が気になっていたのだけど、どうも誰がどうしてこの訳にしたのか分からないらしい。ドビュッシーは比較的早くから日本に紹介されていた作曲家だったので、正確なところが残っていないようだ。けれど、大人という存在になると外から覗うことしかできない子どもたちの大事な世界を表現したようなこの曲には、「子供の領分」というタイトルがぴったりくるなとずっと思っていた。だから、その解釈はありなんだと知れたことが嬉しかった。

久しぶりのブログ更新は好きなピアノ曲の話でした。夏の疲れが出てきてなんともだるい今日この頃です。

真の当事者はどこにいるーあるいは、語れる当事者と「劣化する支援」について

先日、今年の2月24日にfacebookに公開投稿した文章に久しぶりにいいねが付いていた。半年を経て再会した自分の文章は、もう一度自分の中で考えてみるべきことだなと思ったので、ここに転載してみる。いま読み返すと、付け足したい点や注釈をつけたい点がいくつかあるのだけれど、そのまま載せてみようと思う。

***

一部の人にしかさっぱり通じない話だと思うのですが、少し書いてみます(2.25下部に追記

「劣化する支援」のイベント告知やそのレポ、田中俊英さんのブログが、よくシェアされてくる。というか私も、田中さんをフォローしていて、日々の投稿なんかもちらちら読んでいる。昨今の子ども支援や、貧困と格差解消に挑むNPO、その中でも特に目立つ業界的な有名どころへの違和感、そういうのは私も分かるなという部分があるので、面白く読んでいたりもする。

が、どうしても気になる、引っかかる点がある。田中さんは「サバルタンは語ることができるか」を引用しながら、真の当事者というのはそういった支援やNPOにもつながれない人々であって、有名NPOが目立つことによって、真の当事者がますます見えない存在になることを危惧している。そして、真の当事者ではない、まあなんとか支援につながれる、場合によっては自ら当事者として語ることが出来る人々のことを、「エリート当事者」と表現している。

あえて刺激的で分かりやすい表現を使用していることは分かるのだが、この表現に、私はちょっと心が痛んでしまう。フリースクール友達で「語る」役をやっていた人はすぐ分かると思うけど、かつての私たち(恐らく日本で一番有名なフリースクールに通う不登校の子ども)は、しばしば「不登校エリート」と揶揄されてきた。あなた達は例外だ、不登校一般を代表するものではない、だからあなた達の話は面白いけど参考にならないし、不登校についての検討材料にはならない……そう言われ続けてきた。

私自身は「不登校エリート」ではなかった。というのも、人前で分かりやすく自分の経験を喋ることが出来なかったため、エリートらしくメディア取材を受けたり講演会で喋ったりしたことはほとんど無いのだ。喋れなかった理由は「どこかおかしい学校教育と、そこからはみ出してしまう自分」という定型の語りに、自分の経験(学校以外の出来事でも多く傷付いて、今思えば病気のレベルまで心のバランスを崩した)を乗せられなかったから。だから、不登校エリートと言われるだけのことはある、立派な語りが出来る友人達がいつも羨ましかったし、僻んでもいた。そして自分が劣っているように感じていた。

ただ、外側から見れば私もまた不登校エリートの一部であっただろう。エリートである理由は、見る者によっても変わるので、何かしらには引っかかる。淀みなく自分の経験を話せる知能や社会性なのか、それなりの額の金銭的負担が生じる場所に通える家庭の子だからなのか、学校や公的機関以外のリソースにつながれる社会関係資本を持つ子だからなのか。

現在の私は、不登校エリートと言われても、言われなくても、どちらでも構わない。大人になるにつれ、昔は羨ましかった友人達も、簡単には人に言えない悩みを抱えていたことを知っていった。みんな、実は全てを洗いざらい話していたわけではないこと、大なり小なり大人の求めに応じて理想の当事者像を演じていたこと、自分が不登校を代表してしまう違和感を抱えていたこと……それらが分かるようになった。みんな葛藤していたし、年月の経過とともに、人前で語ることはしなくなった者、語りの内容を変化させていった者もいる。エリート当事者も悩んでいるのだ。あんまりエリートじゃなかった私も悩んできた。いや、悩まなきゃいけない状況にさせられてきたとも言える。

そんなわけで、困難な状況にある人々、その中でも特に弱い立場にある子どもや若者に分断を生みかねない言説には警戒心がある。支援論を戦わせるなら支援者の皆さんで勝手にやって頂きたいし、当事者を巻き込まないでほしい。「語れる/語れない」の問題なんて、そんなに目新しくもないだろう。最近特に、物語として目を惹く語りを有り難がる風潮があるなら、物語消費とか感動ポルノとか、いくらでも切り口あるでしょう。そうでもしないと資金調達できない社会に異を唱えることだって出来るでしょう。社会保障を問うてもいいのよ?

個人的にびっくりしたのは、叩き上げのNPO支援者だけでなく、学問的なバックグラウンドを持つ専門職や研究者でも無批判に同調しちゃうの?ということだった。なんかちょっとショックで。

後半からキツイ書き方になったけど、私は怒っていたのかもしれない。かつてのエリートコンプレックスの私も、一生懸命喋ったら「あなたは運が良かったのね」と言われた私も、その後支援者になって世間知らずだったことを突き付けられ泣きながら勉強してきた私も。

「劣化する支援」論や、田中さんの論が、当事者に何か言うためのものではないことは分かっている。しかし当事者をカテゴリ分けして、あなた達ではない本物がいると便宜上でも言ってしまう以上、こういう批判が出ることは引き受けてほしいなと思う。

あー長文。公開投稿の方がいいのかな。→公開にしました

追記
田中さんの記事をちゃんと紹介していなかったので、こちらにリンクを貼ります。

toroo4ever.blogspot.jp

lite.blogos.com

news.yahoo.co.jp

3つ目の記事は少し前のもので、エリート当事者という表現はされていません。私個人としては「うっ…」と苦しくなる部分もあるのですが、この視点は大事だし、語れる/語れないについて丁寧に書かれていると思います。

***

fbからの転載は以上。投稿には友人からのコメントもいくつかついて、私自身もこのあたりを更に考えていくきっかけになった。ここのところ、ソーシャルセクターのあれこれ的な話をよく目にするし、自分でも考えるので、いったい自分の原点や基盤はどこにあるのかということを、先日もまた考え直していた。

どれだけ知識をつけても、数量的な分析に必要な話ががわかるようになっても、今は現場離れてるからむしろ感覚衰えてるけど今後また支援の力量が上がっても、たぶん一生、自分についてまわる話なのだ。呪いでもあり、希望でもあり、自らを呪うための呪詛もまた、祈りなのだ。私は、自分の語りを使って何かをしたいと思うに値する人間なのか?、「真の当事者」なのか?と。

FBの投稿はこちら↓

https://www.facebook.com/miho.komatsu88/posts/1862324517175902

今日の読んだものとメモ、少しだけソーシャルセクターの話

昨日よりは体調が良い。今日は先週やった血液検査の結果を聞きに行かなければならないので、多少元気じゃないと困る。甲状腺機能が変じゃないかと思って検査したのだけど、また病気が増えるのも嫌だし、何もなければ何もないで、精神的なものとか自律神経の問題と言われるので嫌だ。トラウマ由来の精神的不調がある人は身体にも不調が出る人が多い気がするけど、理由はなんであれ不調だらけというのは嫌なものです。

今日も読んだものをメモ。

yoshimi-deluxe.hatenablog.com

この方のブログがとても好き。今回もやっぱり好きだった。どこが好きなのかいちいち説明したくないけど、「私たち」と「社会課題」というものが別々に離れたところに存在するんじゃないという視点を一貫して持ち続けているところと、それを指摘する時に気に入らない奴の襟首つかんで「お前わかってねぇだろ?ああん?」みたいにならないところが好き。私は襟首掴みそうになる本心を抑えようとすると、僕たちはソーシャルビジネスで社会課題にアプローチしてます解決してますと言っている人たちに阿りそうになってしまう。自分に自信が無いから攻撃か服従かスルーの3択になってしまうのが私の悪い癖なのだけれど、考えてみればそういう人は私以外にも多いのかもしれない。日本は建設的な議論をする土壌が無いとか言われるのって、自信が無い人が多いからなのか。尊大に振る舞える自信じゃなくて、自尊心のほうの自信ね。そういえば、7~8年くらい前はtwitterをフォローして頂いていたか、時折favをもらっていた気がする。私はあの頃よりは元気です。

 

neu-zuppa.com

一つ目の記事と同じような話題について。染み入る文章だし、ちょっと元気が出た。「倫理なき知性は社会のためにならない」「誰にとって『使いやすい』存在となるのか」ほんとに。私はどうしたいか、すごく考えた。そして、自分が長年かかわってきた領域では名前の知れたNPOを1週間で辞めた時のことを少し思い出した。許せなくて泣いた時も、辞めて悔しくて泣いた時も、なんで泣いていたのかって、支援対象者である子どもたちに申し訳なくて泣いていたのだった。そういえば、この文章を書いた方にも、先日FBである方の投稿にコメントした際に、いいねを頂いていた。ありがとうございました。

 

note.mu

スモール・ハピネス、いいなぁ。これを書いたパノラマの石井さんとは、以前ちらっとお話をしたことがあるだけで、あとはずっと、なんとなくFBで交流させて頂いている。

知り合いか、知り合いの知り合いか、せいぜい2人くらいを間に入れればだいたいの関係者を網羅できてしまいそうなのが、いわゆる「ソーシャルセクター」という世界だと思う。その狭さが、何か大きな動きをしたい時に良さとして発揮されること(たとえば災害時、一般的な災害援助や復旧・復興以外にも、○○の病気を持つ人たちに必要な物を届けたいという別地域のNPOを、当該地域のNPOや関係者にすぐつなげるとか)もあれば、何かおかしいぞと思うことがあってもそれを口に出せない(でも○○さんとか何も言ってないし△△さんも一緒にやってるし…)という方向に発揮されてしまうこともある。

最近、ソーシャルセクターと言われる人たちをちょっと揺るがしている話題あれこれも、問題が起こる背景や構造にはいくつかのポイントがあると思うけれど、この「狭さ」が持つ難しさというのを、単純な話ながら感じた。でもそれって、村社会の息苦しさみたいな話そのもので、社会課題をどうにかしたいと思う人たちが志向する「つながり」って、そんなんでしたっけ?と思う。がっくりしつつも、今起こっていることに対して何らかのアクションをする人の存在も確認することができて、よかった…のか?よい方向にしていかなきゃなと思う。

 

・ぜんぜん関係ない話で、突然頭の中に降りてきたフレーズ

「でも精神科医や精神領域の支援者の書くものって嫌じゃないですか、大御所的な人は達観した感じだったり衒学的な感じがしたりするし、研究者っぽい人は緻密でカチカチした感じだし、優しそうな人はやわらくてまるい言葉ばかり。私たちの真実はそのどれにもない、どれにもないんです。いや真実なんてわからない、私たちという人間や生活や、日々のなさけなさ、圧倒的になさけなくて、でも、それでも良いこともあること、そしてまたなさけないこと、そういうのがね、無いんですよ」

私の中には「戯曲係」とでも言うか、時々こういう芝居っぽい台詞であまり自覚していない感情を穏便に伝えてくれる存在がいる。交代人格というほどでもなく、幻聴ほど外からやって来る感じではない、中から聴こえるのはわかる程度に、自分ではない言葉としてやってくる。言い終るとそれでおしまい。久しぶりに来た。治療終結したばっかりなのにそこそこ解離じゃん。

そこにあるのは人生だ、生活を見ろ、困難は困難として尊重しろ、人間を扱えということか。自分の中の当事者が、置いてきぼり禁止と言っているような気がする。

今日読んだものメモ

体調が悪くてぬるい空気と一体化しているので、昨日も今日もぼーっとしている時間が長い。悲しくなってしまいそうなので、何事か考えたりしていた形跡を残しておこうと思う。気を付けていないと自分がいかにダメかばかり考えてしまう性質なので。

 

日本の「リベラルの弱点」とは | 荻上チキ・日本の大問題 | ダイヤモンド・オンライン

本の宣伝かよーと思いつつ読んだ。治安と教育のところが気になる。

 

「教室のエアコン設置論」よりも重要なこと | エネルギーから考えるこれからの暮らし | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

紫波町に引っ越してオガールの賃貸に住みたいと思って検索してしまった。あちこち転々として色々な住宅に住んできたけれど、断熱は大事だなと本当に思う。日本の住宅政策は、居住福祉の面からも環境の面からも経済の面からもクズだと思う。短期的なことしか考えてないだろという話のオンパレードで今がある。公共施設も、どうかと思う建物が多い。

 

児童虐待“予防”に予算がつきにくいのはなぜか (1/2)

なぜなんでしょうね。短期的なことしか考えてないシリーズなんだろうか。

虐待のことを考えると、悲しさに圧倒されるか、怒りで勉強するぞとなるか、虚無感で何もかも嫌になるか、つい極端な反応をしてしまう。今日も2回くらいなった。そして、そういう極端さを内に抱えた人はおそらく想像以上に沢山いる。かつて被虐待児だった人も多くいるだろうけれど、そんな子どもを間近で見ながら何も出来なかった…みたいな思いも心を蝕むものだと思う。例えば、子どもの同級生のあの子大丈夫かな、あの家大丈夫かなと思っていたけど引っ越しちゃってわからない後味悪いとか、気になる教え子がいたけど日々忙しくて話を聞く余裕も無く先輩にはいちいち深入りしてたらやっていけないと言われたとか、異動で児童福祉の担当になったけど大変過ぎて心が麻痺していった今はもう当時のことは思い出さないようにしてるとか。そういった周囲の人間も含めればかなりの数になるんじゃないか。公衆衛生によくない。

ミクロレベルで良い支援をするのはもちろん、マクロレベルでも冷静に事態の改善に貢献し、社会全体を回復のプロセスに乗せるには、どうしたらいいんだろうか。何かしら一端を担えたらという思いと、今の私には無理だろうなという思いと。こうしてまた虚無がやってくる。

 

内部告発者に「報復」する社会 法の欠陥、修正できるか - Yahoo!ニュース

内部告発者の「誇り」と「悔い」 「事件後」の日々を追って - Yahoo!ニュース

重たい話。正義を感じられない社会は、つらい。

 

体調が悪いんだったらもっとふんわりしたことを考えていれば良さそうなものだけれど、それが出来ない。あとは専門書の多い近場の大学図書館はどこかと検索したり、PDFになってる文献探ししたり。一人でいる時は特にダメなので、週末よ早く来い。あ、夫の休みは日曜だけだったか…。